Astushi Adachi solo exhibition

​    「MEMORIES」

          2020年11月2日(月)~11月9日(月)
           平日  12:00~19:00 (会期中無休)
​           土日祝 12:00~17:00 ※最終日17:00まで

この度、石川画廊では足立篤史  個展「Memories」を開催いたします。

これまで「記憶を記録すること」を根幹に、古い新聞記事等を素材にし、現在には存在しない戦艦や軍用機に落とし込んできた足立篤史氏。

作り出された作品は、過去の記録と現代の記憶が混じり合い、新しいオブジェクトとして独自の存在感を放ちます。

今回はこれまでにはない素材を用い、また新たな作品を展開します。

近年、目覚ましい活躍を見せ続ける足立篤史氏の展示をどうぞお楽しみください。

記憶とは、すべての人が持つものであり、小さい時好きだったおもちゃ、昨日食べたご飯、最近起きた近所での事件、今朝のニュースで見た何処かの国の戦争、世の中にあるすべての出来事の存在が、誰かしらの脳、または心に残っている、それが記憶の存在である。

様々な出来事が記憶と言えるが、同時に覚えている、忘れていないことこそが、確かに「記憶」として存在している意味と言える。

子供の時遊んだ物を覚えているか、今朝食べた朝食を覚えているか、昨日見たテレビのニュースの事件を覚えているか、最近起きた戦争での死者を覚えているか。

どんなことであろうと、忘れることによって「記憶」は死ぬ。

記憶を殺さないために、人類は「記録」することを発明した。

それはラパシエガ洞窟の壁画のような絵であり、エジプトのヒエログリフ、メソポタミアの楔形文字、中国の甲骨文字であり、ホーレ・フェルスのヴィーナスなどの立体であり

それにより、人々が今まで忘れていたはずの「記憶」が忘れられることなく、確かに存在した証として残り、後世へ伝えることが可能となった。

だが、すべての記憶が残されるわけではない、記憶は脆く、危うい存在である。

記録をしても忘れ去られ、失ってしまう存在もある、そして、そもそも「記録」すらされない存在もある。

記録に残る存在、記録に残らない存在、その差はなんなのか、その重要性とは何か、消滅を待つ記憶には存在価値がないのか。

 

すべての記憶が残ることが不可能でも、思い出すきっかけを作り、可能な限り全てのものが存在した痕跡を残していきたい。

 

私は、朽ちてゆく記憶を、忘れられるものを形作っていく。

 

記憶は、記録することに意味があるのだから。

                                                                                                                                         足立篤史

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